憲法は国の設計図   伊藤博文   

 
 社会は何によって成り立つのかといえば、それは「制度」でしょう。たとえば徳川幕府がふっ飛んで、そのあと明治政府ができたのも、いってみれば制度の変化です。そして明治以来、たくさんの制度の土台となってきたのが憲法です。
 憲法は法律のひとつのように言われることもありますが、法律というより、国の基本方針(設計図)と言ったほうがピンときます。
 べつに憲法をやぶって罰金をとられたり、守ったから表彰されたりはしませんが、これが国の基本方針で、これにそってほかの制度がヤマほどつくられ、国全体が運営されているわけで、憲法に反する法律はつくれません。いや、つくれないはずなのです。
 つまり、憲法のありかた、イコール国のありかたです。
 その憲法に、はじめてとりくんだのが
伊藤博文です。彼の功績はいろいろあるにしても、大きな歴史の流れでみれば、やはりまず憲法の制定をあげなければならないでしょう。彼は1882(明治15)年にみずからヨーロッパにわたり、プロシア憲法を学んで帰りましたが、その7年後に、日本ではじめて帝国憲法が発布されました。
 もちろんいまの憲法と内容がちがいますが、あるとないとは大ちがい。憲法がなければ近代国家の運営はできませんし、先進国からも、ただの日本列島の原住民みたいにみられて、ナメられてしまいます。
 近代国家をめざして、謙虚にヨーロッパで憲法を学んだのは、みごとな見識でした。

 
伊藤博文の名前のなかのの字は、もとは専の古い形と、十を合わせたものです。いまの字と左右逆ですが、漢字はもともと絵ですから、配置なんかどうだっていいのです。
 
は、ヒモでしばった荷物と手を描いています。「手でつかむ」ということから、「かぎられた範囲」という意味も出て、専門という熟語にもなりました。また「はさめる」ということから、薄(うすい)の字にもはいっています。
 
は、何かをまとめた形で、10という数だけでなく、「たくさん」の意味でもつかわれました。協(力を合わせる)の字も作られています。
 つまり
の字は、「うすい」「たくさん」の意味が合わさり、「広くゆきわたる」ということです。
 
伊藤博文の場合、その名前は「文を広くゆきわたらせる」という意味になります。つまり憲法をさだめ、国の基本方針をゆきわたらせたという、彼のもっとも大きな功績をあらわす象徴名前といえそうです。
 ちなみに最近は憲法改正の論議もさかんです。もちろん私たちは今の憲法を絶対に守らなければなりませんし、もし国のありかたを変えたいなら、さきに憲法の条文を変えなければおかしくなります。それくらい憲法を重視しないと伊藤さんがあの世で泣きます。
 憲法をそのままにして、国のありかたはその時その時で考えりゃいい、というのは、基本方針をアシゲにすることで、憲法を無視したような政治や行政を生みやすくなります。国際社会でも、「憲法があるような無いような国」「軍隊があるような無いような国」になって、「日本人はいいかげんで信用できない」と思われてしまうでしょう。その意味では憲法改正論も、憲法を大切に思うからこそ出てきたのだ、と見ることもできるでしょう。