「二本の矢」という名のテロリスト



 テロに関する話というのはちょっと不謹慎なようではありますが、アメリカの貿易センタービルの破壊が「同時多発テロ」などと呼ばれたことは、いささか疑問もあります。本来テロがふつうの犯罪とちがうのはつぎの点です。
   1、強い立場の人や組織を、弱者が攻撃する手段である
   2、正しいかどうかは別としても、社会的な言い分がある
 それからみますと貿易センタービルの破壊は、ばく大な資金をもつ組織による、まじめな一般市民にたいする無差別殺人であり、テロの形をなしていません。殺人にいい悪いはないかもしれませんが、本来テロリストには、世の中のために自分をすて、一人で強者に立ち向かう男の生きざま、美学がありました。
 歴史にのこるテロリストは、正しいかどうかはともかく、つよい信念というものがあり、そしてフシギに象徴名前(生きざま、事件につながる名)をもつ人が多いのです。
 明治42年にハルピン駅で伊藤博文を射殺し、31歳で死刑になった朝鮮青年の安重根は、知的な人物で、達筆な書もたくさんのこっています。彼の名前は「根にもつことを重ねる」、つまり日本の要人のゆるしがたい言動を、永年、心にためこんだという意味になります。
 「根拠を重ねる」の意味でもあり、彼はこの襲撃に15の理由をあげています。その中には「本当にそうかな?」と思わせるものもあるのですが、とにかく彼は思慮が深く、視野が広く、スケールの大きな人物でした。
 「このままでは日本は世界で孤立する」という彼の論に当時の日本人の多くが心を打たれ、(その論が百%正しくはないとしても)、彼に魅力を感ずるファンはいまの日本にも多く、伊藤博文を尊敬する人でさえ、安重根を悪く言う人はいません。
 時はくだって昭和35年の安保騒動の年、山口二矢(おとや)という17歳の少年が、演説中の社会党の浅沼委員長に脇差しを向けて走りより、心臓を2度刺して絶命させ、そのあと自分も鑑別所で自殺してしまいました。
 「二本の矢」という意味の彼の名前は、2度刺したことなのでしょうか。平成11年に彼の供述調書がはじめて公開されましたが、そこで語られているのは、政治と教育への批判です。「二本の矢」はこの二つの世界に向けられた怒りをあらわしていたのかもしれません。
 彼は日米戦争を「白人の有色人種に対する差別が原因だ」と言っていますが、これは学校で教えないだけで、かなり本質をついたひとつの歴史の見かたです。
 彼は社会党、共産党、労働組合などの政治集団をにくみ、教育界には、「
人の道を教えないで違法な集会、デモ、ストを敢行し、子供を日本赤化の道具にするよう教育し、もはや日教組は教師の組合ではなく、共産党の労働者として赤化革命に狂奔している」と、二つの世界にホコサキをむけたのです。
 しかし彼は安重根とちがい、言っていることが正しいかどうか以前に、人間として魅力がなく、だれからも賞賛されませんでした。国民の多くは殺された浅沼委員長の人柄をほめたたえ、その死をいたみました。
 おりしも安保騒動のあとで「国民に政治はかえられない」という敗北感が広がっていたときですが、そのあとも新左翼による学園紛争、市街戦、爆弾テロ、内ゲバ、ハイジャックなどが続いたため、「若いモンが政治に関心をもつと、ろくなことをしない…」と思われるようになってしまいました。

 やがて政府や学校にナンクセをつけていた全学連も世の中から支持されずにおとろえ、日本人の関心は政治からはなれ、金もうけや出世や娯楽が中心になって、歴史も政治もただのお受験のための暗記科目になってしまいました。
 
世の中を憂い、強い者に立ち向かうテロはおきなくなりましたが、凶悪犯罪が減ったわけでもなく、被害者が政治家でなく名もなき市民、それも大半が老人、女性、子供になっただけです。
 加害者たちは強い者には近よらず、同じ強さの者には集団で襲い、言い分といえば「遊ぶ金がほしい」「あいつにムカついた」などと、世にもミミっちいことばかり。
山口二矢がいまの世に生きていたなら、それよりはずっとマシなはずですが、彼が命と引きかえに語った供述は39年間も伏せられ、いまやアホなおしゃべりにばかりよくマイクが向けられています。
 こんなご時世のなか、良い悪いはさておいても、古き時代のテロリストたちの生きざま、そして彼らの心に思いをはせてみるのも、人間のまぎれもない足音、息吹を感じることにはなるかもしれません。