こういう占いを知っていますか?  



 日本ではほとんど知られていませんが、漢字の本場の中国には、むかしから「測字」という占いがあります。依頼者に漢字をひとつ書かせて判断するのです。

 これは占いといっても、今の日本にあふれているようなゲーム的なものでなく、その場の流れをするどく感じとる霊感のようなものがいります。その神わざのような占断のなかには、名づけのヒントになるものも多いのです。
 じつはなにをかくそう、本格的な名前の研究をするには、この測字の研究はどうしても欠かせないのです。
 たとえばこんな話があります。
 むかし科挙(いまの上級公務員試験みたいなもの)を受験しようとしていた若者が、測字の先生の前で「」の字を書き、判断をたのみました。
 先生がいうには「串は、中の字がふたつ重なっている。いまあなたが勉強中のことは、郷試(地方での1次試験=これだって超難関)と、殿試(中央での本試験)で2回くりかえされるのだ。めでたいことだナ」
 このときそばにいた別の学生が、「私も見てください」と言って、同じ「」の字を書いてみせました。
 すると先生、今度は「あんた、大病するから気をつけなヨ」と言ったのです。
 「どうして同じ字を書いたのに、ちがうことを言うんですか?」と聞いたらば、
 「さっきの人は無心でたのんだ。あんたは、その人のいい判断を聞いて同じ字を書いた。つまり下心がある。で、串の下に心をつけると患の字になるだろう。だから大病なんだ」
 さきの受験生はのちに科挙に合格、あとの学生はのちに大病でたおれました。
 このように、同じ字を書いてもちがう、ということは名づけにもいえることです。
 名前は、どういう名前をつけたかということ以前に、それがどういう発想、どういう感覚でつけられたのか、ということが非常に大事なのです。
 まじないのように名前そのものに期待をこめても、それが結果としてでんぐりかえることはよくあることで、それがいわゆるカモフラージュ(隠蔽=いんぺい)名前です。
 そのちょっとひどい例が、神戸の少年A(酒鬼薔薇聖斗)でしょう。彼の名はもちろん非公開ですが、彼の母親は「真実をみきわめるように」と願って名前をつけたと言っています。
 でもそこに真実はみられません。おわかりでしょうか?
 真実をみきわめる、というのは、だれも反論できない、だれもがうなづく抽象的なコトバにすぎません。そんなものを追いまわして、私たち、真実のコトバが出るでしょうか?
 人のことを言うのはたやすいですが、やはりこの場合も、親がもっともニガ手なことを、子供の名前でカモフラージュしたみたいにみえます。もしそうならば、それは真実の名づけになりませんから、どんなご立派な名前だろうが、ご本人は名前のとおりにはならないのです。