極論が正論だった−後藤新平の震災復興計画 |
||||
阪神大震災からかなりの年月がたちましたが、ここでとりあげる後藤新平という人は、医学界の出でありながら、才能をかわれていろいろと政府の要職についた人で、大正12年の関東大震災のあと、内相、兼帝都復興院総裁に任命されました。そのとき彼がつくったのが、かえすがえすも残念な、かのまぼろしの「東京市復興計画案」です。 「何だこれ、道路と公園ばっかりじゃねえか!」 その案を見た人はみな唖然としました。理解できなかったのです。それはまるでSFマンガみたいに見えたらしく、「また彼の大ぶろしきが…」とみながあきれ、お情けにその一部の道路だけが作られました。それがいまの「昭和通り」です。
平の字は謎ですが、テンビンがつり合った状態のように見えます。「はかる」「つりあう」「たいら」の意味をもち、評(はかって言う)、秤(ハカリ)、坪(たいらな土地)などの字にふくまれます。 新と平の組みあわせは、後藤新平のばあい、「木の家がたおれて平地になる」という、ちょっとぶっそうな意味にとれますが、これこそ彼の復興計画の発想そのもので、その意味では象徴(シンボル)名前といえるでしょう。 都市に道路と公園が必要だ、ということは、いまでもあまり理解されません。「道路や公園を広くすると、住むところがせまくなる」と思う人も多いのです。 これ、じつはまったく逆で、都市に広い道路や公園が多ければ、放っておいても大きな建物がどんどん建ち、広い住宅や店舗やオフィスがたくさん供給されます。それによる経済の波及効果ははかりしれません。お金がどこまでもグルグル回りつづけるのです。 ところが日本の都市のように、まともな道路や公園がすくないと、なにもかも逆になります。 効率の悪い中小ビルがふえ、多くの人が高い賃料や住宅ローンで苦しみ、一部の道路にだけ車が集中して渋滞し、物や人が長時間クギづけになります。道路がせまくて全長ばかり長いと、上下水道や電線を設置するにも、それを維持管理するにも、よけいに金がかかります。 長時間あくせく働いても利益はすくなく、違法駐車があふれ、子供は歩道のない道を命がけで通学し、集まって遊ぶところもありません。住宅はせまく、子供も多くは育てられず、年金制度はガタついてきます。石川啄木みたいに、働けど働けど暮らしはよくならず、ザルからもれっぱなしの経済になるのです。 そこへ震災でもおきれば泣きっ面にハチ。建物からあふれ出た人たちは、安全に避難する道も公園もなく、火はせまい道をすぐとびこえてひろがり、救急車も消防車もまともに動けず、救援物資もうまく運べず、ライフラインの復旧も手間どり、仮設住宅をつくる場所もなく、…… 言えばキリがないですが、とにかく道路や公園がせまいと、ろくなことがないのです。 その広い道路や公園というのは、いったん人が住みついた所にはたやすくつくれません。震災、戦災などで多くの家がくずれたあと、思いきってやるのが一番いいのです。 歴史に名高いロンドン大火のときは、市民を苦しめたペスト菌はみんな焼け死に、イギリス人はそのあとに画期的な新しい都市をつくり、世界有数の都市としてさかえました。 関東大震災のあと、もし後藤新平の案がすべて実行され、全国の都市もマネしていたら、いまごろ日本人はもっとよい環境の中でゆとりのある生活をしていたでしょう。しかしそれは実行されず、その22年後に、東京は空襲でふたたび大部分が焼失します。しかもその戦災のあとですら、あまり道路や公園はつくらなかったのです。 都市の道路と公園。それは何世紀さきまでも生きつづける投資で、子孫への最高のプレゼントなのです。しかしいまの日本はこの後におよんでも、都市に広い道路や公園をふやそうとせず、過疎地にばかり豪華な道路をつくり続けて、天文学的な借金を子孫におしつけようとしているわけです。 |
![]()