KJ法の考案  川喜田二郎



 KJ法といっても、「何だそりゃ?」と思う人も多いでしょうが、よく企業の研修や会議で行われますので、「あ、やったことある」というかたもいるはずです。
 たとえば「売り上げについて」といったことをテーマにして、みなが思いうかぶ意見や案を片っぱしからカードに書いて箱に放りこんでいきます。つぎに箱のなかにたまったカードを、内容のつながりそうなもの同士グループ分けしていきます。そして最後に、グループにわけたそれらのカードを大きい紙にはっていくのです。
 これは選挙の投票や開票と似ていますが、ちがうのは、一人で何枚もカードを書けることで、矛盾したようなことを書いてもいいのです。多くの人が雑多にもっている考えをうかびあがらせ、まとめるのに便利で、考案者の
川喜田二郎氏の頭文字からKJ法と名づけられました。
 ではこのKJ法は、どのように生まれたのでしょうか?
 文化人類学者であった
川喜田先生は、ネパールなどを歩きまわって集めた貴重な情報をすべてカードに書いて箱に整理していました。ところがあるとき、ちょっとした不注意で、カードを箱ごと床に落とし、中のカードがメチャメチャにブチまけられてしまったのです。
 「せっかく苦労して整理したのに、もとどおりにできるだろうか」と目の前がまっ暗になりました。やっと気をとりなおし、カードをひろいはじめた時のことです。ちらかったたくさんのカードの中で、何となくおたがいに引っぱり合っているカードがあるように見えたのです。
 そこでためしに、ひっぱり合っていそうな雰囲気のカードを二枚づつペアにしてみました。そしてさらにそのペア同士でまた引っぱり合っていそうな雰囲気のものを、グループにまとめてみました。
 そんな作業をつづけたところ、最後にすべてのカードが、自分がまるで考えもしなかったべつの発想、視点から整理されていたのです。
 その体験で、おなじデータでも整理の仕方によって気がつかなかったことがわかる、ということを発見したのです。資料の内容だけでなく、整理のしかたはいかに重要か、というわけです。
 
川喜田二郎氏のお名前のの字は、解読のむつかしい字ですので、ややこしい説明は省きますが、人の名前のなかにあったら「グループ」「地域」「国」などの意味にとればよい、と思ってください。
 つまり
川喜田先生の場合は、二郎というお名前は「二つをグループにする」という意味にとれます。まさにKJ法そのものをあらわす象徴(シンボル)名前なのです。
 ところで、みなに思いつく意見をどんどん言ってもらって集める、ブレーンストーミングという会議の方法があり、新しい企画やアイデアを出すのに有効です。もちろん採用されるのはわずかで、ムダな意見もたくさん出ますが、そのムダが大切なのです。「ムダをするまい」と思ったらすでに頭の老化であり、自由な発想をさまたげます。ですからブレーンストーミングには「人の発案にぜったい批判や反論をしてはならない」というルールがあるのです。
 ところがこのブレーンストーミングは、アメリカ人はよくやりますが、日本でやると失敗するといわれます。日本では、おたがいに立場をわきまえ、ナマイキだ、出しゃばりだと反感をかわないよう、気にしながらモノを言う風土です。「
モノ言えば、くちびる寒し、秋の風」で、よけいなことは言わないほうが無難です。これじゃアイデアどころか、日本人はブレーンストーミングにはまるっきり向かない、ということです。
 そのかわりと言っちゃ何ですが、日本人にもできるのはブレーンライティングです。発言をせず、紙に書いて箱にいれるもので、これなら気がねなく書けます。そしてKJ法は、はじめの作業はこのブレーンライティングとよく似ています。
 これは名づけにも役だちます。思いついた名前をどんどんカードに書いてためていきますと、あるとき「そうだ、わたしはこんな名前がすきなんだ、こんな名づけがしたいんだ」と、自分のホンネがわかってくるのです。
 ちなみに日本では、学校でも社会でも、人の発言のアラをさがして口達者に切りくずすと、頭がいいようにまわりが誤解してくれます。でも本当はそれは反対で、口で言い負かすのに何の能力もいりません。そんなことをしているとますます感性や創造力がにぶって頭がさびつき、ますます口ばかり動くという悪循環におちいります。
 ブレーンストーミングの「人の案を批判しない」という前むきの姿勢こそが、コトバで説明できないヒラメキ、直感、すぐれた発想、アイデアをたくさん生み出し、難問題を解決し、世の中をゆたかにしてゆくのです。