オウムを解くカギ……ある連続射殺犯の手記 



 オウムの麻原にやっと死刑判決がでましたが、彼の生きざまと名前とのつながりについては「名前学」(全日出版)のなかでくわしく解説いたしましたので、ここでは省略します。
 問題は、ああいう無差別殺人がなぜおきたのか、これからもおき得るのか、ということですが、そのヒントになりそうな例として、むかし一人で、無差別殺人をやった男がいます。
 それは1968(昭和43)年に東京、京都、北海道、名古屋で計4人を射殺した永山則夫死刑囚で、彼は獄中で「無知の涙」というぼう大な手記を書きのこしました。
 彼の名前のの字は、銅器と刃物をえがいたもので、刃物で銅器に文字をきざむことです。それより、保存すべき文書や法律をあらわしました。
 彼のばあいにかぎっていえば、いかにも法律を無視した彼の行動をおおいかくすような、隠蔽(カモフラージュ)名前にみえますが、見方によっては、銅器に文字をきざむように、獄中でノートを書きつづけたことをあらわす象徴(シンボル)名前にもみえます。
 手記にはたくさんの詩が書かれ、「
私は罪人だ」「人間のクズだ」とも書いてはいますが、自分が殺した人たちや、その家族にたいする思いというのはほとんど書かれていません。
 彼は逮捕されたあと、「自分がなぜあんなことをしてしまったのか、無知なのでわからない」と言い、それからは読書に熱中しました。獄中で全学連と知りあい、「社会が悪い、資本主義が悪い」といったリクツをおぼえ、そのテの本もたくさん差し入れしてもらったようです。
 そして彼なりのリクツを作りあげました。
 「
殺人は自分の無知による。自分が無知なのは貧乏で学歴がないからだ。それは貧乏人に不利な資本主義社会がいけないのだ」と。
 手記にはこんな意味の文があちこちにあり、無学、貧乏、プロレタリアといったコトバをちりばめ、「
社会が悪い」「私は犠牲者だ」と言い、「資本主義社会では私のような犯罪はつきない…」と石川五右衛門みたいなセリフもはいています。
 人を4人も殺しておいて、えらい議論をブッているのです。
 これがリクツの恐さです。オウムもこういうところがよく似ているのです。
 リクツもときには必要なものでしょうが、いつもリクツだけに走って、実感、感性、イマジネーションがまったく動かなければ、それは一種の病気です。
 たとえば私たちは、ほかの動物の死体は平気でも、人の殺された姿をみたらぞっとします。まして自分で人を殺すなんて、足がすくんで、ふつうの状況ではできるものではありません。病人やケガ人をみれば気の毒に感じ、はやく治ればいいナ、という気になります。
 こういう万人に共通の実感は、いわば種族保存の本能で、リクツぬきのものです。こういう本能によって、人間は団結し、きびしい自然界を生きぬいてきたのです。(ただし自分の身があぶないときは、とっさに反撃します。それが個体保存の本能です)。
 ところが自然界とちがって、文明社会のなかでは、人間どうしが競争することばかりふえ、「助け合わないと生きられない」という実感はうすくなりますので、こうした本能がにぶる人もでてくるのです。これがマヒすると、マヒしたことすらわからなくなり、リクツや欲望に支配されやすくなります。
 ですから豊かな文明社会のほうが、殺人もふえるのです。しかも仲間どうしで殺し合った左翼ゲリラも、オウム幹部たちも、みーんな高学歴ときています。
 「無知で貧乏だから人を殺した」という
永山則夫のリクツはトンチンカンで、まったくの話のすりかえです。ピストルなんかもち歩いて、コトもなげに人を殺せたのは、無知や貧乏だからではなく、実感(本能)がマヒしていたからなのです。
 オウムにははじめから殺人を肯定するリクツ(教義)があり、
永山則夫の場合は、あとからリクツを作ったのですが、どちらにしてもリクツしか言えず、実感がさびついていたのは同じです。
 ただ
永山則夫のほうは、うすうすそれに気づいていたフシはあります。
 それは手記の冒頭にある、「殺しを思い出すと、このノートは不用になる」という一句です。どういう意味かわかりにくいですが、スナオに読めば「殺したことを実感すると、説明はいらなくなる」というふうにとれます。
 だとすれば、この一句だけはズバリ本質を語っています。その通り。実感すればリクツはいりません。その実感がなかったことこそ、彼の犯罪の本質なのです。
 しかし人を殺してから実感がでてもあとのまつりで、それからの彼は、実感をとりもどすのをさけ、自分の殺人を、他人事のように社会現象のひとつとみなし、リクツをこねつづけたのです。彼の手記は、はじめの一句をのぞけば、ヘリクツの山です。
 文明社会のなかで、本能がおとろえてしまう人のでるのは防げませんが、わたしたちは競争に勝つ人ばかりほめたり、リクツを言う人だけをかしこいと思うのではなく、実感、感性、イマジネーションをもっと大切にし、評価するよう心がけたいものです。