生まれかわりを信じますか? |
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2005年の4月、ドイツ出身のヨーゼフ・ラツィンガー枢機卿が、選挙によって新しいローマ法王となり、ベネディクト16世と名乗りましたが、この新法王の名前というのは、ペンネームのように、本人が歴史上の尊敬する人物などからとって自由に決めていいようです。 こうしたキリスト教社会とまったく対照的なのが、チベット密教の最高指導者のダライ・ラマです。歴代のダライ・ラマはすべて同じ呼びかたをされ、現在はご存知のとおりダライ・ラマ14世ですが、本名でテンジン・ギャムツォとよばれたり、ちがう名前に変えるということはありません。そもそも歴代のすべてのダライ・ラマは同一人物だとされているのです。 むかしからチベットでは、ダライ・ラマが亡くなると、弟子がその生まれかわりの子をさがします。生まれかわった場所の風景を霊視し、みなでその風景のとおりの場所をさがしに行きます。おもしろいことにダライ・ラマの場合にかぎっては、とんでもない遠い国には生まれかわらず、亡くなったところからそう遠くない範囲に、その場所があるといいます。 そして、その場所で生まれた子供の中から、それらしき人物をみつけ出すのです。 もちろん厳格なテストをやります。先代のダライ・ラマが使っていた道具を、ほかの物と混ぜて見せ、どれがほしいか取らせます。生まれかわりの子は、必ずその道具だけを選ぶのです。 そのような審査を何度もやって、生まれかわりにまちがいないとなったら、両親を説得し、聖地ラサの宮殿に連れていって即位させます。選挙で決めるのではありません。 こういうやり方は、日本ではもちろん考えられないことです。跡つぎは、死んだ人の意向を重んじ、多ぜいが賛成する人にするのが常識で、生まれかわりをさがすなんて何だ、と思う人も多いでしょう。そういう意味では、ローマ法王の選ばれかたこそフェアで、オカルトじみたことをやるチベット密教は未開の宗教だ、と感じる人もいるかもしれません。 ただ、それでは人間は、生まれかわるということはないのでしょうか?「ない」ということだって、だれにも証明はできないのです。 たとえば今から40年ほど前、アメリカのレイモンド・ムーディが臨死体験のデータを発表したころは、多くの人にとって半信半疑でした。しかしその後、どこの国にも体験者がワンサカいることがわかってきて、今ではなかば世界の常識になっています。 人間が生まれかわる、つまり前世、来世がある、ということも、今はまだ多くの人にとって半信半疑かもしれません。 でも、前世の記憶(その記憶が事実であることが証明された)をもつ子供というのは、あちこちで発見されています。また、真性異言(ゼノグロッシー)といって、習ったことのない言葉(過去のある地域の言語であることが証明された)を知っていたり話したりする人も、世界のあちこちで発見されています。あんがい何十年かあとには、前世や来世を否定する考えのほうが古くなっているかもしれません。 じつは名前の研究においても、前世、来世があると考えないと、何ともフシギで説明がつかないという事例にぶつかります。むしろ人間が何度もこの世に生まれかわる、と考えたほうが、いろいろなことがつじつまが合うのです。 ただ、ときたま、お子さんを早く亡くされたかたが、つぎのお子さんの名づけのとき、「今度の子は前の子の生まれかわりだと思っていますから、前の子と同じ名前をつけます」と言われることがあります。 これは絶対にするべきではありません。お気持ちはわかりますが、前のお子さんの生まれかわりかどうかは、密教行者でもない人がカッテに決めるべきではありません。それは、ときにお子さんに非常によくない影響をあたえます。 ところで、超常現象・奇跡に興味をもちすぎる人というのは、オウムや法の華三法行のようなサギまがいの宗教にだまされる危険もありますが、前世、来世というのは、べつに未開の宗教が教えていることではありません。むしろブライアン・ワイスの前世療法とか、キューブラー・ロスの死後体験などのように、先進国での研究発表のほうが有名です。 日本の学校では、唯物的なものの見かたしか教えてくれませんが、前世や来世は、私たち一人一人の人生観を左右する大きなテーマではあります。 たとえば「どうせあと何十年かで自分は死んでいなくなる…」と唯物的な感覚でくらしていますと、人によっては苦労するのがバカらしくなり、愉快なことだけで毎日をぬりつぶしたくなるでしょう。 極端は場合は、犯罪をしてでもトクをしたいと思ったり、つらいことがあれば「早めに死んじまおう」と思う人も出るかもしれません。 でも、「今の生き方がつぎの人生をつくる」となれば、話はまるでちがってきます。自分のやったことは、いつか全部自分にハネかえってきますから、人生をそういいかげんにはあつかえなくなるのです。 死後の世界をかいま見る、いわゆる臨死体験をした人たちの多くが、「今をどう生きるかはとても大切だ、自殺はとても重い罪だ」と言っているように、もし私たちの感覚のベースに前世や来世というイメージがあったなら、いまの自分の人生を重く感じてくるのではないでしょうか。 「チベット密教は特殊な国の特殊な教えだ」とかたづけるのではなく、核兵器も環境汚染もつくらない人たちの発想にも、たまには目をむけてみるのもよいことだと思います。 |
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