フーテンの寅さんはヒンドゥー教徒?



 今回は仏像の名前についてです。仏像の名前はたくさんあってややこしいですが、大きく分けますと、仏(如来)、菩薩、天、明王、祖師、などがあります。つまり○○如来とか、○○菩薩とか、下の部分をみるとおおまかな分類はわかります。厳密には○○仏という名前のものが「仏像」なのだともいえますが、一般には全部ひっくるめて「仏像」と呼ばれています。

 仏・如来(にょらい) =○○仏、○○如来という名前
 仏とは、悟りを得た人(仏陀)のことで、ふつうはお釈迦様をさします。ただし宇宙の真理、その真理のはたらき、それを体得した人すべてをさすこともあり、毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)、大日(だいにち)如来、阿弥陀(あみだ)如来、薬師如来、釈迦如来があります。
 奈良の大仏は毘盧舎那仏で、鎌倉の大仏は阿弥陀如来です。阿弥陀如来(阿弥陀仏)は「なむあみだぶつ」という念仏、アミダクジの
言葉にもなりました。

  菩薩(ぼさつ) =○○菩薩という名前
 人を導き救おうとする修行者の姿をあらわしたのが菩薩像です。とくに日本人に親しまれているのは、観音菩薩(観音さま)や地蔵菩薩(お地蔵さま)です。そのほか文殊(もんじゅ)菩薩、普賢(ふげん)菩薩、弥勒(みろく)菩薩、大勢至菩薩、日光菩薩、月光(がっこう)菩薩などがあります。
 さらに観音菩薩には、准胝(じゅんてい)観音、白衣(びゃくえ)観音、馬頭観音などいろいろあります。
 地蔵菩薩(お地蔵さま)は大地と幼児の守り神なので、昔から日本の農村であちこちにかざられ、子供のお墓のわきにも置かれました。また「3人寄れば文殊の知恵」ということわざがあるように、文殊菩薩は知恵や学問をあらわし、受験生のお参りに向いています。
 しかし原子炉に普賢とか文殊とか、菩薩の名前をつけるのはちょっと不自然です。


  =○○天という名前
 
じつは「天」がつくのは、もとはインドのヒンドゥー教の神様です。仏教といっしょに伝わったので、日本ではヒンドゥー教の神様とは知らずに拝んでいる人もたくさんいます。その中の最高神は梵天(ブラーフマン=ぼんてん)ですが、これはあまり知られていません。一般になじみのあるのは弁財天(べんさいてん=弁天さま)、毘沙門天(びしゃもんてん=毘沙門さま)、帝釈天(たいしゃくてん=帝釈さま)、大黒天(大黒さま)などです。ほかに聖天、吉祥天、荼吉尼天(だきにてん)などがあります。
 東京の葛飾の柴又の帝釈天は、フーテンの寅さんですっかり有名になりました。吉祥天は、まわりまわって東京の吉祥寺の地名にもなっています。
 そのほか仁王(におうさま)も天の一種とされ、方々のお寺の門番になっています。韋駄天(いだてん)という足の速い神様は「いだてん走り」の言葉も生みました。陸上選手がお参りするといいかもしれません。
 
弁財天(サラスヴァティー)は琵琶をもつ女神で、水の神様なので水辺によくまつられ、琵琶湖の竹生島の弁天さまが有名です。琵琶湖の名前もそこから出ています。この女神は梵天の奥さんで、亭主より奥さんが人目につくのは、いまの日本の風土にも合っています。

 明王(みょうおう) ○○明王という名前
 仏教、とくに密教系の教えの中の真言(マントラ)や概念を、形でシンボル化させたものです。日本人によく知られているのが不動明王(お不動さま)です。そのほか降三世(こうさんぜ)明王、大威徳(だいいとく)明王、軍茶利(ぐんだり)明王、孔雀(くじゃく)明王などがあります。

  祖師
(そし)
 釈迦の弟子とか、歴史上の名僧、高僧など、実在の人物をあらわすものです。たとえば、釈迦の16人の弟子をあらわす十六羅漢、釈迦の教えの編集のために集まった修行者たちをあらわす五百羅漢、そして弘法大師もよくまつられます。
 とりわけ私たちの生活に深くなじんでいるのが、
インドから中国に禅を伝えた菩提達磨大師(ボーディダールマ=だるまさん)です。起きあがりこぼしのオモチャも、選挙事務所においてあるダルマさんも、仏像の一種なのです。

仏像はサンスクリット文字(梵字)をつかったそれぞれ特有の記号で表現されることがあり、これを種子(しゅじ)と呼びます。
仏像の名前はインドのサンスクリットの言葉をそのまま使ったものがあります。釈迦牟尼仏(シャーキャムニ)、毘盧舎那仏(ヴァイローチャナ)、阿弥陀仏(アミターバ)、文殊菩薩(マンジュシュリー)、荼吉尼天(ダーキニー)、軍茶利明王(クンダリー)などがそうです。
仏像の種類が多いことから、仏教は多神教のようによく誤解されますが、じつは仏教の教えは無神教です。ではなぜ仏像の種類はとくに日本で増えたのでしょうか?
 島国の人間というのはだいたいにおいて気がやさしく、のんびりしていて平和的です。歴史上も、島国に何百万人もの大虐殺や大粛正というのはあまりみられません。仏教はそういう風土に合っており、またそういう風土であるからこそ、何でもありがたがって拝む多神教的な姿になりやすかったと考えられます。