無力感は良く生かそう   秋田の事件

         占いのお好きなかたは誤解をしやすい内容ですので、お読みにならないほうがいいかもしれません。
          こんな名前はこんな性格や運勢だ、というゲームの話ではなく、やや専門的な名前の見方です。



 
秋田の幼児殺害事件の畠山容疑者とその子の鈴香、彩香という名は、名前としてとくに不自然なところはありません。ただ、この名前に何が表現されているのか、という推理だけはできると思います。
 このような悲惨な事件はたくさんおきています。いつも申し上げることですが、こうした事件を少しでも減らすには、容疑者だけを特殊な人間とみるのではなく、予備軍(グレーゾーン)の姿をとらえる必要があります。そのキーワードとして、私たちのもつたくさんの感情や感覚の中のひとつである「無力感」をとりあげてみます。
 無力感はあまりよい意味で使われないコトバですが、もともと動物として生きるのに必要なものです。無力感を感じなかったら、平気でトラと格闘して食い殺されたり、病気なのに走りまわってますます悪化させたりします。つまり無力感そのものは悪いものではなく、私たちだれしももっているものです。
 ただ、無意識の中にいつも大きな無力感をかかえていますと、自分でも気がつかないうち、「自分はこんな力があるんだ」と確認するような行動に出てきます。その行動には、ハッキリ良い、悪いのちがいがあります。

 
たとえば無力感が「努力」という行動で出る人も多く、世の中のためになる仕事をし、高い評価をされる人もたくさんいます。
 また、必死にお金をかせぐとか、自慢屋さんとか、口達者とかいう形に出ることもあります。これはべつに世の中のためにはなりませんが、とくに迷惑にもなりません。

 
無力感が名づけに出ることもあります。男女さかさまの逆性名前、男女わからない混性名前、まちがった読み方の名前、本人がいやがるようなギャグ名前などがつけられるとき、親が深い無力感をかかえているというケースはあります。名前で人を困らせたり混乱させて、自分の力を感じるというケースです。(ただしこれとは別に、昨今の日本の学校で中性教育をされた人が、わが子にも男女さかさまの名前を平気でつける、というケースもありますが)
 無力感が他人への迷惑行為に出ることもあります。人に迷惑をかけて自分の力を感じるというケースで、たとえば夜中に市民をたたき起こす暴走族などは、「自分は世の中に認められる見込みがない」といった無力感をかかえていることが多いのです。
 無力感が異常行動に出ますと、ひんぱんに人を攻撃したり、突然暴力をふるったり、犯罪の常習者になることもあります。いわゆる人格障害(Personality Disorder)で、もはや治療不可能な範囲です。究極の犯罪である殺人はほとんど人格障害者がやっています。
 高裁へ差し戻しになった山口の母子殺害事件の犯人は、「死んだ人間はもどらない、だから自分を裁ける者はいない」と手紙に書いていますが、凶悪殺人犯というのは、モトへ戻せないことをして、やっと自分の力を感じるという重症患者です。凶悪殺人にたいして更生などと妙なことを言う人もいますが、犯人は、もはや更生など成り立たず、みながお手上げだからこそ、自分の力を感じているのです。
 このように無意識のなかの無力感がおこす行動は、まさにピンからキリまで、天地の開きがあります。それは症状が軽いか重いか、また本人が賢いかどうかによるのでしょう。
 秋田の畠山容疑者の場合は、名づけには不自然な行動は出ませんでしたが、虚言(うそ)、幼児虐待(面倒を見ない)、殺害、報道陣に対する非難攻撃、とならべてみますと、やはり深い無力感があったとしか思えません。その無力感の内容が何だったかについては、この親子の名前はヒントにはなるでしょう。
 名前は、つけられた本人のことではなく、つけた人の感覚がよくあらわれます。
鈴香彩香という名は、畠山容疑者とその親の感覚をさぐる手がかりにはなります。
 
は「音を放つ」、は「光を放つ」、は「かおりを放つ」という意味の字です。つまり「放つ」というイメージが共通しています。どの字もいま人気のある、名前に向く字です。ただこの3つの字が、容疑者の家族にとっては何を意味したのか、ということです。
 畠山容疑者が「父親から暴行をうけた」「親しい友達がいなかった」というのが本当なら、父親も無力感が暴行という形に出ており、母親も彼女も「言っても聞いてもらえない」という無力感をかかえていたことになります。まさに無力感一家です。

 
それをカバーするように、「放つ=自分から何かを発信する」という意味の字ばかりが名前にあらわれています。この家系の場合は、「伝えたい」という思いが無意識に名前にこめられたといえそうです。みながコミュニケーションのとれない無力感にひたっていたのでしょう。
 まともに話を聞いてもらえない(と感じていた)畠山容疑者は、ウソをついて人が信じたときだけ自分の力を感じ、そのうちウソしか言えなくなってしまい、さらにだれにもモトへ戻せない事件をおこし、マスコミに
送してもらい、やっとのことで自分の力を大きく感じとっていたことになります。
 無力感が異常行動に出る人間は、このように自分の人生をメチャメチャにしてでも、自分の力を味わいたいのです。そして最後は自分も世の中から隔離されて、究極の無力感を味わうことになります。
 畠山容疑者も、自分の影響力をたっぷり味わったあと、鉄格子の中へと消えました。