観光という発想はお見事 そのまんま東 |
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タレントのそのまんま東さんが宮崎県知事になりました。これからは公務上は東国原(ひがしこくばる)英夫という本名を名乗り、公文書はすべて本名が書かれることになります。 ところで東国原という変わった名字については、ざんねんながら専門家の解説はみあたらず、由来についてはよくわかりません。ヒガシクコクバル、ヒガシクニハラの2通りの読み方があり、原をバルと読むのは沖縄の名字にもよくみられる読み方です。 名字の由来は謎ですが、ひとつだけ想像できることはあります。それは、昔の日本では「○○氏の住む土地」ということで、名字が土地の名前になったり、逆に「○○に住む人」ということで、土地の名が名字になったりすることがよくあったということです。 そしていま東国原という名字の人は、ほとんどが鹿児島県の末吉町という、宮崎県との県境にちかい地域に住んでいます。全国で11世帯ほどしかない名字が、このようにひとつの地域に集中していますから、おそらく先祖はみな同じ一族と考えていいでしょう。 はるか昔、鹿児島湾のほとりには国分寺が建てられました。それがいまの国分市です。末吉町はその東がわに位置します。ですから東国原は「国分寺からそのまんま東にひろがる平地」という意味にもとれます。そうだとすれば奇遇にもそのまんま東さんの芸名とおなじ意味になるわけです。 ついでながら、同じようにして生まれた地名に、東京の電気街の秋葉原(あきはばら)があります。秋葉原の地名は「秋葉(あきば)神社のまわりの原っぱ」からきたといわれますので、本当はアキバハラ、アキバ系という言い方が正しいことになります。 ところで今回の宮崎県知事選挙は、ご存知のように、官製談合事件で前の知事が辞任したことで行われました。ですからつぎの知事は誰がなろうと、談合の撲滅というテーマは背負うことになります。 しかし、これに水をさすわけではありませんが、広い意味で談合というのは、個人のドロボーやサギとちがい、日本の風土のなかに深く根をはった慣習です。談合を無くそうとすることは、多くの組織、そして大きな権限をもつ人たちとの、永く、苦しい戦いになります。市民運動のうしろだて無しに、一人の知事だけに早急な成果を望むのは酷でしょう。 ただ今回の選挙は、そのまんま東さんが、知名度もあったからでしょうが、既成の政党の候補者を押しのけて圧勝したことが特徴です。つまり政党でなく市民が答を出した選挙です。談合がなくならない背景のひとつが、選挙のあり方です。私たち自身が個人的な利害をすて、かならず投票に行くことで、政党でなく市民が政治をつくれるということが証明されたわけで、これで宮崎県から談合をなくすための最初のハードルは突破したといえます。 「入れたい人がいないから」と選挙をサボっていては、百年たっても政治のレベルは上がりません。入れたい人がいない時こそ投票が必要です。不謹慎なたとえですが、わざわざ投票所まで足を運んだ人の3割、4割の人が白紙を放りこんだり、「ろくなのがいない」と書いて入れたら、ノドから手が出るほど票のほしい各政党は、もっと広い世界からよい人材をさがさざるを得なくなります。私たち無力な市民も、政治を変えるあの手この手が必要なのです。 ところで談合の問題とはべつに、東国原知事が打ち出している「観光の活性化」は、おおいにがんばってほしいことです。観光で何をテーマにするかについては、本名の英夫というお名前のなかにもヒントがありそうに見えますが、それはご本人から聞かれないかぎり、よそで言いふらすのはやめておきましょう。 |
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