忍者ハットリくんはアパレルの流れ



 はるか昔、日本の文化の中心であった奈良地方には多くの技術者、職人が住んでいましたが、そのなかで織物をつくっていた集団が服部(はたおりべ)とよばれました。
 のちにこれが服部
(はっとり)という名字になり、すぐ近くの三重県の伊賀盆地にも服部という名字が広がり、のちにその地方から忍者の服部半蔵がでました。忍者ハットリくんのキャラクターも、もちろん服部半蔵から出たもので、つまり服部といえば、衣服のメーカーであることをあらわすとともに、忍者を代表するような名字になっています。
 ついでながら、むかし小説やマンガによく出てきて、当時の男の子ならだれでも知っていた真田十勇士のメンバーに、甲賀忍者の猿飛佐助
(さるとびさすけ)、伊賀忍者の霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)がいました。もっとも当時は忍者という言葉は使われず、「忍術使い」などと呼んでいました。この2人は関ヶ原の戦いや、大阪夏の陣、冬の陣で活躍したことになっていますが、ただし実在したという証拠はありません。
 この2人の名が世に知られたのは、大正時代に出版された立川文庫の小説に登場してからで、それ以前の正式な記録にはないようです。大阪城の地下から真田十勇士の名前が発見されてニュースになったこともありますが、よく調べたら立川文庫が出たあとで作られたニセもので、くだらないいたずらだとわかりました。
 ちなみにいま全国電話帳(写録宝夢巣Ver.10)で、服部という名字は全国で3万件をこえますが、猿飛、霧隠という名字は1件もありません。
 服部半蔵のほうはれっきとした実在の人で、戦国の世に徳川家康に仕え、家康が天下をとったのちも江戸城の警護にあたり、その警護していた門が半蔵門と名づけられました。いまは東京メトロの半蔵門線の名前にまでなっています。
 何十年か前のことですが、半蔵門からそう遠くない東京新宿区の若葉町で、工事現場から大量の手裏剣が発掘されたことがあります。このあたりはむかしは伊賀町といったそうで、おそらく伊賀忍者の屋敷でもあったのでしょう。また、今はありませんが、東京にはむかし甲賀町という地名もあったそうです。だれもが知るところではJRの上野駅の名前も、忍者のふるさとである伊賀盆地の上野村からきたというのが定説です。