まじない名前の結末 市橋達也 |
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名前で人生は決まらない、ということは命名の専門家としてつねに申しあげていることですが、占いがお好きで、名前で本人が決まると思っておられる場合は、以下の文は違和感がありすぎますのでお読みにならないほうがいいかもしれません。 人の名前というのは、名前そのものよりも、どんな発想、どんな感覚で名づけられたか、ということが重要で、まったく同じ名前でも、つけたときの親の感覚がちがえば、本人にはちがうものが伝わります。ですから人の名前だけをぬき出していくらながめても、その人がどんな人かということはわかりません。逆に、同じ名前でもさまざまの人がいるのはなぜなのか、と事実を素直に考えていくと、名前というものがだんだんとわかってくるのです。 ただ、どんな人なのか結果がわかっている場合は、その人がどんな名づけがされたのかを推察することはできます。最近、死体遺棄容疑で逮捕された市橋達也の場合でいえば、命名の専門家はこれを目標名前ではなかろうか、と推測するのです。 目標名前とは、親が「こうなってくれ」という目標をつきつけた名前です。こういう名づけは人に説明しやすいので「親の愛情がこもった名づけだ」などとほめる人も多いですし、名づけはそうやるものだ、と思いこんでいる人もいます。 ただ専門家からみますと、それは名前をまじないに使うことにもなりやすく、結果が裏目に出ることも多いので、少々あぶなっかしい名づけではあるのです。なぜ裏目に出やすいか、というカラクリについては専門的な話になりますので、ここでは省略します。 市橋達也の場合は、医師である親が、息子も医師になることを願ってつけた名づけにみえます。親もラクに生きてきたのではなく、苦労をしながら医師になり、その世界での地位を築いたはずです。だから息子にも「高い目標を達成してほしい」という感覚で、達也という名前をつけたのでしょう。 逮捕のあと父親は記者会見で、「学校のことについては本人がいやがっていたので話したくない」と言いました。これはいかにも「犯罪者といえどもわが子だから」という親心のようにも聞こえますが、命名の研究をしている者には、「それはちょっとちがうのでは?」という感じもします。本人が学校の話をいやがっていたのは、親が期待した医科大学に行けなかったからではないのですか?本当は親自身が、学校の話をしたくないのではないでしょうか? 名づけにしても、親がホンネで正直に「達也」という名前そのものを気に入ってつけたとは思えず、結果からみて、親自身が目標の達成ということにこだわり、それにしばられながら名づけをしていたようにみえるのです。
ヒツジは草原の中でも目立つので、「よく見える」の意味をもち、洋(遠くまで見える海)、鮮(はっきりした色の魚肉)、翔(派手に飛ぶ)、詳(わかるように言う)などの字に含まれています。 達の字は、大きなヒツジに向かって歩くことで、遠くに見える目標に向かって行くことを意味します。そこで到達、達成の熟語もつくられました。 也はサソリを描いたもので、尾を伸ばして刺すことから「伸びる」の意味で使われました。地(広がる大地)、池(広がった水)、弛(弓の糸がのびる)の字も作られています。 つまり達や也の字に悪い意味はありません。問題は、市橋達也が名前をつけられとき、親の正直なホンネが自由に表現されたのではなく、ウラで金縛りになったような感覚が親から子へと流れるスタートになってしまっている、ということです。 親が息子本人に自分の生き方を考えさせる気持ちのゆとりがなく、息子も親の呪縛からぬけられずに精神的に袋小路に入ってしまったのでは、どんなよい意味の名前であっても、本人はまたその名前にしばられるようなことになります。 市橋達也は犯行のあと裸足で走り去ったにもかかわらず、いつのまにか関西にまで移動し、海外逃亡までたくらみ、最後に沖縄へ行こうとしてつかまりました。名前の「遠くへ行く」という意味は、彼が最後までかかえつづけたテーマになってしまいました。 しかも逃亡によって逮捕を「伸ばし」たうえ、取り調べでも絶食や黙秘をつづけて真相の解明も「伸ばし」ており、これでは裁判でも情状酌量の余地はなくなるでしょう。 彼は逃亡のために整形手術をし、皮肉にもその整形手術後の写真が公開されて逃げ場を失いました。つまり彼は父親と同じ「医師」によって追いつめられたのであり、医にしばられる−ということがここまで尾をひいています。 もちろん市橋達也は極端な例ではあります。ただ、このように「わが子はこうあれ!」といわんばかりに名前をまじない的に使いますと、結果が裏目に出たとき、親は「こんなはずじゃなかった」と思い、自分のつけた名前にとても納得はできないでしょう。 親が正直にホンネで気に入った名前をつけ、その時点で「この名前で後悔しない」と納得するほうが、ずっと安全な名づけです。もし市橋達也がそういう感覚で、同じ「達也」という名前をつけられていたら、本人にはまるでちがう感覚が伝えられていたのではないでしょうか。 |
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