世渡りのヘタな者が世の中を救う   豊田佐吉



 最近、トヨタの自動車に、大量のリコールの問題が生じています。このように日本を代表する輸出産業で問題がおきますと、すぐに日本経済そのものに大きな打撃をあたえます。
 はるか昔、明治から昭和のはじめあたりまでの日本の代表的な産業といえば、もちろん紡績でした。これなくしては日本の経済そのものが成り立たたないほどの、いわば日本の命綱ともいえるものでしたが、国際社会できびしい競争にさらされてもいました。
 その紡績産業の底辺は、むかし、細井和喜蔵の「女工哀史」でくわしくレポートされたように、職場の環境は劣悪をきわめ、労働は過酷きわまるものでした。この惨状は戦後にも「ああ野麦峠」などで、小説や映画にもなって描かれています。
 またいっぽうでは数々の技術開発によって、世界に市場をひろげてきた努力もありました。
 産業というのは、このように労働と技術が両輪です。そしてきびしい労働というのは、技術の進歩がなければなかなか打開できません。
 その技術開発のほうのシンボルみたいな人が豊田佐吉です。
 彼は紡績の機械に非常に興味をもち、1890(明治23)年に、人力織機を発明し、その後1897(明治30)年に、動力織機を完成させました。そして1906(明治39)年には豊田式織機会社を設立し、1925(大正14)年にはついに自動織機を完成させて、豊田自動織機製作所の設立にまでいたりました。
 そして、この豊田自動織機製作所からさらに自動車を作る会社がうまれ、のちにトヨタ自動車という日本の代表的な企業のひとつになったわけですから、豊田佐吉の業績は、今もなお日本経済に大きな影響をのこしているといえます。
 そして皮肉なことに、いま日本の主力産業である自動車産業もきびしい国際競争にさらされ、その底辺で不安定な雇用形態、多くの派遣切りの悲劇も生まれています。
 その状況を打開できるのは、ひとえに優秀な技術です。どうすれば性能のいい車を低価格で提供できるか、その技術力にすべてがかかっているわけです。そんなおりに、アクセルやブレーキの不具合の話など出てしまっては致命的です。もちろんその話の真相はわかりませんし、会社として技術を軽視していたわけでもないでしょうが、働いている人を追い出すことより、いかに優秀な車を作り、その技術が評価されるか、そこが勝負であるはずです。
 今回、アメリカは多くの政治家と国民が一丸となって非難をあびせてきたのに対し、トヨタ一社が孤立無援というのは不公平な感じはありますが、ただトヨタにかぎらず自動車メーカーのほうも、これまで不備をなかなか素直にみとめず、公表したがらないという傾向はありました。人の命にかかわることなのに…。
 ここはひとつ豊田佐吉の精神に立ちかえり、寝食を忘れて技術開発にとりくんだ純粋さに学ぶことも必要かもしれません。技術者というのは口ベタで軽んじられたりもしますが、お金や地位や名声に執着せず、ただ世のため人のためのモノづくりに生き甲斐、喜びを感じる人もいます。豊田佐吉がもし機械のクレームを受けていたら、おそらく「運転者の違和感だ」などとは発言しなかったでしょう。

 佐吉という名前についてですが、じつはニンベンがついた「佐」の字と、つかない「左」の字は、古くは同じ字でした。古字をみますと、手と、工具のようなモノを描いています。
 ではその工具はどっちの手に持つのでしょうか?
 古字では「ひだり」の手に持っているようにみえます。だからこの字は「ひだり」の意味でも使われてきたのでしょう。
 手で工具をもつことから「ささえる」「助ける」の意味でも使われてきた字です。つまり佐吉というのは、いかにも技術改革をイメージさせる名前ではあります。
 ただし佐の字は「人が左にゆく」という構造にもなっています。そして左の字には、左遷という言葉にもなっているように、「低い所」とか「脇道」というような意味もあります。その意味で豊田佐吉の場合は、まさに生きざまを示す象徴名前と言えそうです。彼には、世渡りのうまさを思わせるようなエピソードは一切ありません。
 彼ははじめ井桁商会という会社に入りましたが、親会社の三井物産と考えが合わなくなって退職しています。またのちには自分でつくった豊田自動織布工場までやめさせられています。
 とかく天才というのは周囲に理解されにくいものですが、彼の場合も、紡績機に夢中になってとりつかれた人生であって、人間関係とか営業の面でうまく立ちまわる要領のよさはなかったのでしょう。そしてその不器用な生き方こそが、永く日本の経済をささえる原動力となったのです。
 これからの日本でも、こういうタイプの人がどう見られ、どうあつかわれるか、それがひとつの大きな課題にはなるでしょう。