男はつらいよ  渥美清



 「男はつらいよ」のシリーズで、フーテンの寅さん(車寅次郎)を演じてきた故・渥美清さんは、東京・上野の車坂町で生まれました。生まれた町の名前に、のちに映画で名乗る「車」の字が入っていたわけです。その渥美清さんの本名は「田所康雄」といいます。

 「康」の字は補強された植物を描いた絵のようで、「しっかりと立つ」「丈夫」の意味で使われました。
 彼の名前をつけたお父さんの名前は友次郎です。彼のお兄さんは「健一郎」といいます。つまり兄弟が、健と康から始まる名前です。そして親子で同じ「郎」の字が使われています。
 こういう名づけは、表むきのリクツとしては、健康を願い、家系がきちんとつながっていくようにとの願いをこめた名づけということになります。
 ただそうした名づけのさいに、もし病気に対する心配とか恐怖というものが無意識にありますと、結果としてその心配や恐怖のとおりのことがおきてしまうケースもあります。それが名前の見方のむつかしいところで、同じ名前でも人によって解釈がちがってくるのです。
 渥美清さんのお兄さんは、当時不治の病といわれた結核にかかり、若くして亡くなっています。ご本人も26歳のとき結核になり、また偶然かもしれませんが、のちの車寅次郎という配役名に父親の名前と同じ「次郎」が入っています。
 そうした結果からみますと、健康に対する心配、家系のつながりへのこだわり、というのが家全体のテーマになっていたようにも見えるのです。
 渥美清さんは子供時代は不良少年のリーダーだったと言われますが、ある時「お前は俳優になるといい」と警察官に言われ、その言葉がヒントになって、後に劇団に入りました。その後、浅草のフランス座というストリップ劇場で役者として働きましたが、ここからは、その名を聞けばびっくりするような有名な芸人、芸能人が大勢出ているともいわれます。
 ところがここで彼はお兄さんと同じように結核で倒れ、右肺の摘出という大手術を受け、一命をとりとめました。これはよほど人生観を大きく変えるショッキングなことだったようで、そのあと渥美清さんの性格は一変したといいます。のちに長男の名前にも「健」の字を入れたことからしても、健康こそは人生最大の関心事であったに違いありません。
 ただその大手術のあと、テレビの普及によって、彼はテレビ出演の仕事が多くなり、またたく間に全国に顔が知られました。そしてエーザイ製薬のドリンク剤のコマーシャルに出るようになったのですが、このときの宣伝文句が何と、「丈夫でながもち。ユベロン!」でした。この「丈夫でながもち」は当時ちょっとした流行語になり、彼は晴れて「健康」「丈夫」のシンボルみたいな存在になったのです。まさにこの上ない名誉ある姿だったでしょう。
 映画「男はつらいよ」のシリーズは、最初はあれほど続くとは誰も予想しませんでしたが、もう一作、もう一作とやっていくうちに、だんだんこの映画の固定ファンが増えて、作れば必ず人がたくさん入る、という状況になりました。
 晩年の48作目の「寅次郎紅の花」の撮影は、彼がすでに肝臓ガンを患い、肺にまで転移している闘病の中で行われ、これが最後の作品となりました。撮影中もかなり元気を無くしていることは誰の目にもわかりましたが、一切愚痴も言わず、病気のことも伏せていたので、後で肺がんだったと知って多くの人が驚いたのです。
 「俺が死んでも3日間は発表するな」と家族に言い残し、1996(平成8)年8月4日に順天堂病院で息をひきとり、家族だけで密葬にされ、その後に死去の発表がされました。もしかするとお兄さんの死、そして自分の手術の精神的な痛手は消えなかったのかもしれません。人には丈夫な姿だけを見てほしく、病人として扱われたり、ベッドに寝た姿を見られることをとてもイヤがっていたのではないでしょうか。